Special Interview 茂木 顕

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茂木 顕

日本人バイオリン製作家の第一人者・無量塔蔵六氏の東京バイオリン製作学校で学ぶ。その後ドイツでバイオリン製作の家系ステンゲル氏の工房に技術者として勤務。2001 年ドイツ国家資格であるバイオリン製作マイスター試験に合格。ウエストファーレン州では初の日本人手工業者マイスターになる。現在は、楽器の直接買付けや工房の運営等をこなすスペシャリストとして活躍中。

Chi va piano, va sano e va lontano.
一歩ずつ行くものが、遠くまで行く。

プロへ、「はじめの一歩」

茂木:高校2 年の頃ですが、私は絵が好きで美大に行こうかなと思っていたのですが、同時に音楽も関心がありました。それで美術と音楽が融合したような学校はないかと探したところ、東京バイオリン製作学校があり、入学しました。その頃では唯一のバイオリン製作を教える学校でした。そこで学んだ後、いくつかの工房で仕事をしたのですが、自分の未熟さを実感。自分をさらに磨くために、海外で働くことを決め、世界各地の工房に履歴書入りの手紙を出しましたが、3 年間は返事がもらえない状況が続きました。しかしようやくドイツの工房に勤務することが決まり、1993 年ドイツに渡りました。そこで10 年間仕事をし、国家資格であるバイオリン製作マイスターを取得しました。

髙倉:私の場合は学生を終えたときは、まだこれといった就職希望先がありませんでした。モラトリアムのままの卒業してしまった。そのためいろいろな分野に関われるマスメディアがよいと思い広告会社に就職したのですが、ある時その会社の近くにあった銀座の書店で一冊のバイオリンの本と出逢い、「これだ!」と感じました。小さい頃からピアノをやっていて、特にバッハの音楽が好きで、器楽曲も好きだったことが結びつきました。実際に社会に出て働くということを知り、初めて音楽と仕事を結びつけて考えられるようになったのです。その後、何人かの製作家との出会いを通じ、決意しました。そして、一から学ぶためにイタリアのパルマのマエストロのもとに向かいました。

イタリア、クレモナでの出会い

茂木:ドイツで10 年過ごした後、島村楽器でバイオリン製作、バイオリンの買い付け、そしてまだ未整備だった学校の仕事を担当しました。高倉さんとは2003年頃、クレモナでお会いしました。イタリア語の通訳や各種の手続きをしていただいたのですが、実にテキパキと処理してくれるし、バイオリン製作の腕もいい。この人とならバイオリン製作の学科が立ちあげられる、と直感しました。

どこにもない学科にする

茂木:バイオリンの職人の世界というのは伝統を重視するので、どうしても自分流、自分が学んだメソッドに閉じこもってしまいます。視野が狭くなりがちです。これでは「教育」は無理です。

髙倉:幸いなことに、茂木さんはドイツ、私はイタリアと異なる環境で学び、仕事もしています。お互いのよいところを結びつけ、さらに他の国の手法も採りいれることで、偏りのない教育が可能になるのではないか、そう考えてバイオリンクラフト&リペア科を立ち上げました。結果として、それまで日本のどこにもなかった学科になれたのではないでしょうか。

常に学び続けること

茂木:この世界は一見派手に見えますが、仕事は地味です。ですから、コツコツ継続していくことが重要です。そして自分よりすぐれた人に謙虚になり、そこから学ぶこと。学び続けて自分を高めていくことが大切です。

髙倉:イタリアのことわざに“Chi vapiano, va sano e va lontano”(キヴァピアーノ ヴァサーノ エ ヴァ ロンターノ)があります。「一歩ずつ行くものが、遠くまで行く。」という意味です。バイオリンづくりやリペアの仕事もこのことわざ通りです。一歩一歩、努力する人が、
間違いなくいい結果を残しています。