30歳からの弦楽器技術者

近年、30歳以上の方でも、転職を念頭に弦楽器技術の道に入られる方が少なくありません。

35歳から始め、世界的に知られることになった製作家もいます。世界の名だたるコンクールで優勝を飾るような製作家になることはなかなか簡単ではありませんが、年齢制限が21歳ぐらいまでと言われていたこの世界で、大人になってから始めても大きな活躍ができる可能性があるということを示された功績は大きなものがあると思います。

さて、20代後半から30歳以上の方が弦楽器職人/技術者を志されるときに大事なことは何でしょうか。
これまで長年に渡り、様々な形でスタートを切る方々を見てきて、うまく卒業後につなげている方についてはいくつかの共通項があると思いました。多分に主観的な記事になるとは思いますが、少しでもご参考になればと思い書いてみます。

■「目的をしぼる」
難しいことですが、「目的をしぼる」ということがまず大事だと感じます。
大人になってから学ぶ方にとっては学ぶ時間は限られています。そのため、自分は「製作家」になろうとしているのか、あるいは「修理士」になろうとしているのか、あるいは「弓のメーカー」になろうとしてるのか、もしくはさらに細分化し、例えば「チェロの…専門家」になろうとしているのかなど、分野をしぼって、その分野でのスペシャリストになっていくということです。

大人になって始めた時にすべてにわたる専門家になるということは、まずできません。これは実際には若くして始めてもそうなのですが、大人になると修得までの時間的制約が一層シビアになります。若い人たちのように何度か失敗できるという時間もありません。事前の徹底したリサーチと、自己分析、そして何より不退転の決意が必要になると言えます。

■「これまでのキャリアを生かす」
高校を卒業してですぐに弦楽器の道に入った学生には若さと時間がありますが、社会経験を得てきた大人の方々には、それまでに培ってきた社会人としての素養、異分野の知恵がそなわっています。かつて身をおいていた業界では当たり前のことが、弦楽器業界にとっては新鮮が風となることは珍しくありません。若くして始めれば幅広く深く技術と経験を身につけることができますが、逆に気をつけなければ弦楽器業界の常識しか知らずに大人になってしまうということも珍しくありません。どのような業界でも風通しが悪くなると、見失われるものが出てくるように思います。

社会経験のある方々は仕事の組み立て方、キャリアパスの描き方などについて仕事を経験したことのない人よりも緻密に設計を立てられる傾向があります。また、社会経験があったからこそ弦楽器業界の風習を客観的に見ることができ、ビジネスのあり方を考えられるということもあると思いますので、これまでのキャリアで培った力をうまくつなげられにないかと考えることも大事な要素ではないかと思います。

■「治具(ジグ)をうまく使う」
弦楽器技術者の仕事は「精度×スピード」と言えます。
もちろん、これ以外にも様々な技術倫理やアプローチの仕方などを知り、かつ実践できることが必要になりますが、話を複雑にしすぎないためにこの2つにしぼりたいと思います。
「精度」も「スピード」も経験によって培われるのですが、社会人になってから始め、これらを身につけていくことは容易ではありません。
そこで役に立つのが様々な治具(ジグ)です。治具とは、特定の作業を進めていく上で、その作業を補助してくれる道具のことです。
治具をうまく使うことで、熟練職人になるために20年待たなくても、作業を安全にある程度の速度で遂行することができる場合が多くあります。
もちろん、治具よって解消できない作業もたくさんありますが、治具を用いることができる箇所はうまく治具を使うということが、大人になってから技術者を志す方には必須と言えるのではないでしょうか。
(学校では授業のカリキュラムの中で、様々な治具を実際に紹介し、また一部は授業でも使用しています。)

■「仲間を作る」~集合知の結集
先に、時間的な制約があるために自らの専門分野を絞って臨むということを書きましたが、自分が専門としない分野をカバーするために必要なのは、やはり仲間、同志ではないかと思います。時には自分よりも若い技術者とタッグを組み、お互いの持ち味をうまく持ち合うことで、1人では対応しきれない仕事にも対応していけますし、無理をせずに仕事を紹介して回すこともできます。
(できない仕事を請け負ってしまうのは、もっとも避けたいことです)
今も昔も職人は秘密主義なところがありますが、一方で時代の流れがオープンな集合知をもつことを後押ししているように思います。その点で、自らの研鑽を周囲に認めてもらいながら、有益な情報交換ができる仲間を見つけていくことはとても重要だと感じます。
またその点では、講師でさえも2年後には同僚となる可能性がある仲間の一人です。学校では様々な講師が出入りしていますが、学校の中においても社会人としてのよい関係性を普段からお互いに築いていくことも大切ことと感じます。何よりそのほうが仕事もおもしろくなります。

■「学校に行く」
弦楽器職人になる道として、昔はまず見習いから入る、という方法がよくありました。親方が考え洗練させてきた仕事を目の前で見られる、という点では今でも学校が真似できない優れたメリットであると思います。
しかし、研究スピードが早い現代では、1つの工房ですべてを学び終えるということは、いろいろな意味で難しくなってきていますし、そうなると、親方のビジネスモデルが今後も次の世代でどこまで通用していけるかどうかは誰も分かりません。
(すでに仕事をされている方であればこの感覚はお分かりいただけるかもしれません)
よい工房はたくさんあるのですが、経験がまったくない時点で工房の門を叩くとなると、どうしても運の要素に強く左右されます。だからといって、短期で入っては出てを繰り返してはそもそも何も身に付きませんし、工房の方にも迷惑をかけることになります。
総合的に見て、もともとない時間をしっかりと生かして学び尽くすには、社会人経験者こそ、まず学校で学ぶという方法がよいと思います。

ちなみにもっともオススメできないのが、独学だけで勉強するということです。講師もその経験があるのですが、独学は主観に偏るので、あとから振り返ってみて、間違って覚えていたり時間を無駄にしていた、ということも少なくありません。これは私自身の反省も踏まえてお話できることです。大人から始めるには時間が何よりありません。

これはここが学校のコラムだから書くのではなく、迷っている時間を長く持ちすぎて後から後悔されている人も少なからず見てきたので、入学の是非はともかく、学校を訪れてすぐに情報を仕入れてから判断されても損は決してないと思い書かせていただきました。
周りを見渡してみると、弦楽器技術でしっかりした成果を出せる方ほど弦楽器とは一見関係のないところでも、しっかりとした仕事や勉強の姿勢を貫いていると感じます。これは、弦楽器の業界に限った話ではないですが、大人から始めて成功される方々の共通点の1つではないかと思います。

(写真は本校夜間科で学ぶ社会人学生の姿です)DSC07829