友について

昨日、卒業式を終え、学生たちが巣立っていきました。
これから各々の場所で、多くの先輩に支えられながら、自らの足で立ち、周囲の人たちと幸せな仕事をつくっていってくれることと思います。

卒業式は別れの季節ですが、1つうれしいこともあります。
それは学生たちが卒業生となることで、講師と受講生という関係を終えて、ともに同僚や同志として語り合うことができるようになることです。
在学中は修業に専念するためもあり、互いに学外での一切の関係をもたないようにしているので、卒業式を経て晴れてお酒を酌み交わしたり、食事をすることができるようになります。

昨晩も卒業式の後、私たち講師は新・卒業生にさそわれて会食の場に向い、楽しい時間を過ごしたのですが、その中でひとりの卒業生が学友について次のような話をしてくれました。

「ここ(島村楽器テクニカルアカデミー)で学ぶことでもっとも大切なことは、先生たちから基礎をつくる「学び方を学ぶ」ことだと教わってきたけど、それ以上に自分にとっては友達ができたことが本当に大きかった。職人というのはただ一人孤独に作業をするものだと思ってきて、まさかこうした友達ができるとは思わなかった。今までどこにいても自分は浮いていたし、まさかという感じだけど、それが何よりよかったし、本当の財産になったと思う。」とのことでした。
合いの手を打つように、周囲からは「皆、これまで浮いていた人たちばかりだから、かえって友人ができたのかな(笑)」という声も上がり、笑い、盛りあがっていました。

何年講師をしていても、ただの仲良しクラスというものはほとんどなく、むしろ2年間を通して学生たちは様々な自分自身の壁や不条理からくる葛藤に苛まされ、時には学校や講師を反面教師として結束し、私たち講師も年々形は変えても消えはしない仕事と教育の軋轢によって常にいくらか白髪が増える自覚を得ているのが現実の姿で、授業が続いているうちは、正直なところ友情などに気を配る余裕さえないものです。
そういう日々があるので、「技術」というものを学びに来ながらその環境から友人関係が立ち現れるのは、何か泥の中から柔らかい緑が芽吹くような不思議な感じさえします。

友達作りを至上目的とする技術学校はありませんし、現実の授業の中では、私語が過ぎればおしゃべりをせずに集中して手を動かすよう叱責することがないわけではありません。しかし、改めて、自分のことを振り返ってみても、技術学校の時代に一緒に時間を過ごした友人の中に、文字通り何年も会っていなくても会えば昨日のことのように一緒に過ごせる人がして、そうした友人が大きな大きな心の支えになっているのは間違いありません。
昨日友達について話してくれた卒業生も、そうしたかけがえのない友人を得たに違いないと思いました。

話は少し飛びますが、弦楽器技術者を目指す若い人たちに、昔ながらの工房修業よりも、まずは技術学校での2年間や3年間を過ごすことを勧める時に、私たちはいつも「どこよりも充実したカリキュラム」や「10年を経て着実に卒業生を業界に送り出せるようになった授業実績」などを強調します。しかし、昨日の出来事をふりかって思うのは、工房という狭い空間では学校でこそ生じうる様々な学友たちとの葛藤や軋轢を経験しえず、またそこから心の支えとなる一生の友人を得ることはさらにままならないということが、実は工房と学校におけるもっとも大きな違いなのではないかということです。