個性について

新年度になり、久々に記事を更新させていただきます。
4月、5月は春の嵐のように過ぎ、梅雨入りと同時に少し落ち着いて勉強に専心できる時期となりました。

毎年4月、5月は学校でも基礎となる作業として、道具の仕立(道具の調整をすること)、刃物を研ぐことが大きなテーマです。道具仕立てと研ぎの一通りの作業を繰り返しながら、この2ヶ月でいくつかの道具を自作していき、本格的な楽器作りに入る前の木工に慣れ親しむ期間を過ごします。

この道具仕立て、研ぎ、道具作りというシンプルな作業の中でも、各人各様の作業が現れ、それが進度や精度や作り終えたものの美しさとなってくるのですが、この時期の皆さんの作業を見ていて考えさせられるのは、刃物を研ぐというシンプルな作業の中にもその人の個性とでも言うべき心と身体のかかわり方が現れるように感じるということです。

「個性とも言うべき心と身体のかかわり」と書きましたが、(いろいろな著名人が指摘している例を挙げるまでもなく)私たちは頭の中の考えこそが自分自身であり、個性の源(みなもと)であるように感じがちですが、心や考えは移ろうものであり、果たしてそれが個性を呼べるだけのものかどうかは怪しいという意味で「心と身体のかかわり」とあえて書きました。

心や頭で考えたことよりも、むしろ作業をする身体のもつ厳然とした個性(どの人の身体も、その人だけのもので2つとないものであるため)にどのように向き合えるかということこそ、作業をする個々人に問われることだ感じるということです。

私自身も毎日道具を触っているのにも関わらず、いまさならがら木材や砥石を触っては驚くことがあり、自分の身体を通してじかに感じられることを、頭という色眼鏡を通さずに感じることの難しさをしばしば感じます。
 昔のクレモナの製作家は中年になってからようやく親方から独立して自分自身のラベルを貼った楽器を製作することができたという話を聞きますが、まず声高に個性を主張する前に、しっかりした研ぎ、しっかりした道具の仕立てなどにしっかり向き合っていくことこそまずはどんな技術者にも求められることであるように思います。

まだ作業は始まったばかりですが、これから1人1人の修行者たる学生の皆さんが、どのように自分の身体と向き合っていくかということを楽しみに見ながら、また自らの手元を省みる6月です。

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